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喪風に吹かれて

もてない女が生きやすくなるために薄ぼんやり模索するブログ

喪女こそしまむらを避けてユニクロで服を買ってみようの話 その1

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引き算、大事

私は人にバカにされない手段として、足し算よりも引き算を重視しています。これが果たして、正解なのか不正解なのかは、まだまだ分かりません。しかし言えることは今の時代には引き算が合っているのではないかということです。

時代が求めてる?

草食だの肉食だの、人をカテゴリしてはネタにする昨今の風潮に、私は楽しみつつもどこか辟易しています。きっとそういう人も多いのではないでしょうか。この「ある特徴に名前をつけて分かりやすくカテゴリする」風潮が生まれた根本として、昨今は「俯瞰している自分」「一歩引いている自分」を良しとすることが多くなったのが挙げられると私は考えています。

究極の「あるある」を求めて

「さとり世代」でも「ゆとり世代」でもそうですが、メディアが世代に名前をつけるようになったのは、ここ数年です。しかし、この属性に名前をつけるというのは、何もメディアが先導したものだけではないと思います。それに共感する人が増えた、「俯瞰することに価値を見出す人」が増えたことで、そんなコンテンツを楽しむ人も増えたのも原因だと思います。何もメディアに敏感な若い人だけでなく、例に挙げた「さとり」「ゆとり」を楽しむ人がいるという点では、むしろ30~50代の大人が多く好んだのではないかと考えます。「頑張ってない」「先頭切って走らない」は同時に、「一歩引く」「空気を読む」「相手の出方を読む」につながります。がむしゃらに自己中心的に何かを頑張るよりも、引いて周りと溶け込むことを重要視していることが多いのではないでしょうか。「出る杭は打たれる」どころではなくて「あいつは『出る杭は打たれる』からといって消極的にさとってやがる」という状態すらネタにされる時代です。自分が一歩引いたつもりが、もっともっと引き算して俯瞰して見ることを得意とする人間、それを良しとし共感する人間が多いのではないでしょうか。それは「あるあるネタ」の究極版で、皆それを俯瞰で見て共感するのは良いけれど、決してそのネタの中心人物にはなりたくないと考えているのではないでしょうか。