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喪風に吹かれて

もてない女が生きやすくなるために薄ぼんやり模索するブログ

個性的になりたい美人、無個性になりたい不美人

時には昔の話をしようか

私には従姉がおります。彼女は昔から美人だと言われていて、地元のミスコンで優勝する美貌の持ち主でございました。私はそんな従姉のお下がりをもらって着ては素材の違いを思い知らされ、情けなさ、悔しさ、妬み、嫉み……ありとあらゆる陰鬱な感情を学習したのです。

従姉の性格

そんな自慢の従姉なのですが、昔からやたらと私を「大人しいお嬢ちゃん」扱いすることがありました。「〇〇ちゃんはおしとやか!」と言いふらしたり、彼女も私もやっているお嬢さんっぽい趣味を、さも私だけやっているかのように周囲に吹聴したり、そして続くのは「〇〇ちゃんに比べて、私は~~だから」です。別にあからさまな自分下げというわけでなく、単純に「私ったら変わり者なの」ってな具合。「黙っていればいいのにって良く言われるんです」は従姉の口癖でした。

美人ゆえに?

昔から事あるごとに「美人」と言われ続けると、それはそれで美人コンプレックスになるのかもしれない、と従姉を見ていると思います。従姉はビジュアル系バンドなど、少し変わったものが好きでしたし、クールな顔立ちの美人にも関わらずヒラヒラ・モコモコの可愛らしいものを好んで着ていました。今になって考えると、従姉が変わったものの話をしたり、やたらと可愛らしい装いをしたがるのは「私は美人だけが取り柄じゃない」「私は見上げられるだけの存在じゃない」と暗に示したかったのではないかと思うのです。一人称も自分の名前でしたしね。

カブレていたのは従姉だけじゃない

従姉がビジュアル系にハマっていたとき、私も少しだけ変わってるといわれる歌手が好きでした。そうはいっても当時そう思っていただけで、今思えば十分メジャーな人です。要するに言いたいのは、私にも従姉と同様に「変わっている」と思われたい衝動があったということ。そして従姉と違うのは、大人になるに連れてその衝動に変化があったことです。変わっていると思われたい反面、洒落にならない本気の変わり者扱いはされたくない。黙っていても顔に違和感があるのだから、至って常識的な人間だと思われた方が得に決まっている、と考えるようになりました。大人になると「私の顔面で変な個性をアピールするのは諸刃の剣だ」と悟るのです。

久しぶりに会う従姉

久しぶりに従姉に会うと、親戚中の前で「〇〇ちゃんは素朴でいいよね」「おしとやかだよね」と言われます。親戚は揃って苦笑いです。何せ美人がブスを微妙に褒める、摩訶不思議な自体に直面するのですから。私は何度も従姉にやめてくれと訴えましたし、親にも「従姉のあれはどうにかならないものか」と言いました。しかし従姉には悪気はないし、親にも「お前が神経質なのだ」と逆に責められて終わりました。従姉のやり方は昔から変わりませんし、それを咎める人も誰もいません。

人と違うを求める美人、人と同じを求めるブス

私はブスなので「とにかく人並みの外見になるように」を目標にしてきました。ただとかく中身に限って言えば、人と違うと思われたいという感情がないわけではありません。あえて周りと違ったものが好きと言ったときに「変わっている」と言われるのは、やはり選民思想が満たされ気持ち良いものです。ですが大人になるにつれ、それではダメだとブスなりに理解するのです。ただ従姉の考えは私と少し違う。人を勝手に「普通」という枠にいれ論じ、「それに比べて私は~~」と続けることでより自分が変わり者にみられると思っている。中々に面倒くさい、歪んだ手法だと思います。周りの人の困った顔を見れば、私が「普通より下」であることが分かりますよ。そしてその度に私は自分のふがいなさを思い知らされ、「普通に見られたい」を募らせるのです。逆に従姉は「変わっていると見られたい」を募らせるのでしょう。

個性的に見られたい欲求

美人な従姉とはもう何年も会っていません。大人になり、私は無個性なブスとなったわけですが、何年も従姉や従姉のような種類の美人に会わないと、自分の中にも「個性的に見られたい欲求」があることに気付きます。いや、もしかしたら従姉が美人とか関係なく、血縁の特徴だったのかもしれません。何ともやっかいですね。ただ私はブスなので、その欲求を爆発させ、人を巻き込むようなことはしないでいたいと思います。